斎藤松洲の「俳諧絵葉書」   (研究会紀要「俳文学研究」)

■「俳文学研究」52号、2009.10.1、pp.3-4。 ■明治〜昭和期に活躍した日本画家、斎藤松洲は絵葉書を多く手がけ、特に俳句をあしらった絵葉書が多い。本稿では尾崎紅葉の句を用いた松洲の絵葉書を対象に、季語を有する俳句と絵葉書に記された時候の挨拶には密…

研究動向 現代俳句 (学術誌「昭和文学研究」)

■「昭和文学研究」59号、2009.9.1、pp.80-83。 ■現在、現代俳句研究はどの程度進行しているかを、資料整備や問題点等を中心に概括した。その中で、小説等に比べ俳句研究は実作者が携わることが多いため、客観的な分析や資料収集の方法に問題点が多いこと、ま…

『スポーツする文学』(疋田雅昭・日高佳紀・日比嘉高編、青弓社)

スポーツする文学―1920‐30年代の文化詩学作者: 疋田雅昭,日比嘉高,日高佳紀出版社/メーカー: 青弓社発売日: 2009/06/01メディア: 単行本 クリック: 12回この商品を含むブログ (3件) を見る ■掲載論文:「スケートリンクの沃度丁幾」(18-50p) ■本論対象は1932…

『戦後詩のポエティクス 1935-1959』 (和田博文編、世界思想社)

戦後詩のポエティクス1935~1959 (世界思想ゼミナール) (SEKAISHISO SEMINAR)作者: 和田博文出版社/メーカー: 世界思想社発売日: 2009/04/07メディア: 単行本(ソフトカバー) クリック: 4回この商品を含むブログ (4件) を見る ■先行研究の少ない戦後詩をキー…

「月並」の季重なり――明治俳句の類型から (「アート・リサーチ」)

■「アート・リサーチ」9号、2009.3.25、pp.17-27。 ■現代俳句は「一俳句=一季語」を前提とし、またその源流は明治期の正岡子規にある、とされる。しかし、明治期には一句に複数の季語を詠む「季重なり」が多々存在しており、それは子規達の作品にも多く見ら…

「新興」スケート・リンク――『京大俳句』の誓子憧憬について (学術誌「同志社国文学」)

■「同志社国文学」70号、2009.3.20、pp.65-77。 ■「スケートリンクの沃度丁幾」(『スポーツする文学』〔青弓社、2009.6〕)で考察した山口誓子の「スケート」連作が、同時代の新興俳句を担った俳人達に強い影響を与えたことを考察した。新興俳句は昭和6年、…

「京大俳句」スケート句の舞台   (研究会紀要「俳文学研究」)

*俳誌「俳文学研究」51号、2009.3.1、pp.2-4。 *論文「『新興』スケート・リンク」(「同志社国文学」70号、2009.3)で取り上げた「京大俳句」掲載の「スケート」句の舞台を考察した。舞台は京都市内のスケートリンクであり、その実態を当時の資料調査を通…

「感念」のありか――明治二〇年代における俳諧矯風運動 (「同志社国文学」)

■「同志社国文学」69号、2008.12.20、pp.30-43。 ■俳句革新の推進者である正岡子規以前にも、俳句改良を目指す俳人達が存在したことはさほど知られていない。その一人、石川鴬洲は美学及び「文学」の新概念で俳句を新たに捉え、多数の論を発表したが、彼は論…

明治期旧派の蕪村言及記事紹介(二)  (「大阪俳文学研究会会報」)

■「大阪俳文学研究」42号、2008.10.12、pp.41-46。 ■「明治期旧派の蕪村言及記事」(大阪俳文学研究会会報、2007.10)の補遺として、「旧派」俳諧宗匠の雑誌類から蕪村言及記事を列挙し、また全体の解説を付した。 「旧派」の言説と子規達の言説とを比較した…

明治「月並」の句法   (「俳文学研究」)

■「俳文学研究」50号、2008.10.1、pp.2-3。 ■明治の俳諧宗匠、三森幹雄の句を取りあげ、「月並」と一括りにされた明治俳句の類型表現の特徴を考察した。

三森幹雄と正岡子規の「眼」――明治俳諧における「写生」の位相  (「日本近代文学」)

■「日本近代文学」78号、2008.5.15、pp.36-51。 ■正岡子規が提唱した「写生」は映像を彷彿とさせるリアリズムとされ、西洋画を参考にしたとされる。しかし、俳句自体における「写生」の意義はさほど考察されなかった。そこで、江戸期以来の言説を継承する俳…

俳諧を知らざる新聞記者――同時代評の俳人子規像  (「同志社国文学」)

■「同志社国文学」68号、2008.3.20、pp.24-35。 ■正岡子規は、同時代の専業俳人である宗匠達からは俳人と認められていなかった。当時、俳人になるには宗匠株を有し、また連句を巻く知識と経験が必須であったが、両者を無視した子規は素人の新聞記者と見なさ…

「四五」句考   (「俳文学研究」)

■「俳文学研究」49号、2008.3.1、pp.3-4。 ■正岡子規達は江戸期俳人の蕪村を「客観写生」のモデルとして発見したとされるが、その実際の作品は通説と異なることを、数字「四五」を詠んだ句を通じて考察した。

其角堂永機の短冊   (『平成石なとり』所収)

*『平成石なとり』夢工房、2008.2.20。共著。 *明治期の俳諧宗匠、其角堂永機を対象とした。歌舞伎役者や文学者らとの交際を追うことで、永機の俳諧サロンの幅広さを指摘し、また永機の短冊の筆致と歌舞伎役者の筆致の類似等を参照しつつ、活字のみでは窺…

明治期旧派の蕪村言及記事紹介  (「大阪俳文学研究会会報」)

■「大阪俳文学研究会会報」41号、2007.10.12、pp.40-46。 ■「旧派」とされる俳諧宗匠達が、子規以前に蕪村に言及した記事を列挙し、研究の一助とした。

尾崎紅葉の「洗鯉」句  (「俳文学研究」)

■「俳文学研究」48号、2007.10.1、pp.2-3。 ■「洗鯉」を詠んだ尾崎紅葉の句解を通じ、彼の江戸趣味を考察した。

俳句の「写生」と日本の韻文の伝統――正岡子規と現代俳句の句法について  (「同志社国文学」)

■「同志社国文学」66号、2007.3.20、pp.71-81。 ■俳句入門書等で最も説かれるのが「写生」である。それは明治期に正岡子規が提唱し、実景を詠むと説明されることが多い。しかし、子規の「写生」は実景をありのままに詠むことと同時に、それが類型や先入観を…

「天然ノ秩序」の「連想」――正岡子規と心理学  (学術誌「連歌俳諧研究」)

■「連歌俳諧研究」112号、2007.3.1、pp.57-68。 ■正岡子規は、俳論に「連想」という語を多用している。現在、この語は日常的に使用されるが、子規の時代には心理学や美学の学術専門語であった。子規は東京帝国大学で最新西欧諸学問を摂取しており、特に心理…

桃李園俳席の尾崎紅葉   (「俳文学研究」)

■「俳文学研究」47号、2007.3.1、pp.3-4。 ■尾崎紅葉の全集未収録の句形を紹介しつつ、紅葉が同時代の俳諧宗匠達と頻繁に交流したことの意義を考察した。

明治俳諧の「余情」と「只言」――三森幹雄と正岡子規の応酬から   (「日本近代文学」)

■「日本近代文学」75号、2006.11.15、pp.16-31。 ■明治期、正岡子規は「写生」を提唱し、従来の俳句を変革したとされる。しかし、「写生」は同時代俳人から「只言」と批判されたこと、またそれは日本韻文の中でも特異な認識だった可能性が高いことを検討しつ…

明治のもう一つの蕪村受容――其角堂永機から秋声会へ   (「大阪俳文学研究会会報」)

■「大阪俳文学研究会会報」40号、2006.10.12、pp.33-38。 ■江戸期の俳人、与謝蕪村は近代に入り正岡子規が発見したとされるが、実際は書画骨董や庵号継承等の世界で蕪村を知る俳人達が多々存在していた。特に老鼠堂(其角堂)永機や尾崎紅葉らと親交のあった…

近代「旧派」の句法   (「俳文学研究」)

■「俳文学研究」46号、2006.10.1、pp.3-4。 ■明治期の人気俳諧宗匠、三森幹雄と老鼠庵永機の句を取り上げた。今や彼らは「月並」とされるが、両者の句風には相違点があり、特に永機には古典などを踏まえた技巧的な句作が多いことを考察した。

「俳声」総目次――明治の俳諧結社「秋声会」の準機関誌について   (「同志社国文学」)

■「同志社国文学」64号、2006.3.20、pp.124-177。 ■尾崎紅葉などが関係した俳誌「俳声」の解題及び総目次。小説家紅葉は俳句にも深く関わり、「秋声会」なる集いを立ち上げたり、また俳壇の有力者達とも交遊があった。 俳誌「俳声」はこの「秋声会」のいわば…

三森幹雄の集金力   (「俳文学研究」)

■「俳文学研究」45号、2006.3.1、pp.2-3。 ■明治期に全国的に著名だった俳諧宗匠、三森幹雄は明治26年の芭蕉二百回忌にあわせて芭蕉神社建立を企画した。その際、全国から多額の寄附が寄せられ、神社はその寄付金で建立されたという。この事例をもとに、俳句…

正岡子規に寄せられた同時代評  (「俳文学研究」)

*「俳文学研究」44号、2005.10、pp.1-2。 *正岡子規の「写生」句は同時代的には不評であり、特に俳諧宗匠達からは素人の作品と批判されていたことを、当時の同時代評を元に論じた。

明治俳壇と日露戦争――旧派、秋声会、日本派を中心に   (「同志社国文学」)

■「同志社国文学」61号、2004.12.20、pp.387-397。 ■日露戦争時の俳壇にはどのような動向が存在したのか。俳壇を旧派、尾崎紅葉の息がかかった俳人達、そして俳誌「ホトトギス」派の三派に分けた時、戦争の影響がほぼ見られないのが「ホトゝギス」だった。そ…