■「同志社国文学」71号、2009.12.20、pp.40-51。
■現在、近代俳句は正岡子規とその一派に代表され、子規以外の「旧派」はさほど顧みられないが、当時の大多数は「旧派」を信奉する人々であった。本稿は、その一例に秩父地方の神官であった田中千弥の日記を対象とし、人々が俳句に求めたのは「文学」ではなく、農作業などの余暇に嗜む文化であったことを考察し、子規達が信奉した「文学」とは異なる近代俳句の姿を考察した。
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