「道」と「文学」――明治の「庶民教化」と子規の俳句革新について  (学術誌「国語と国文学」)

  
学術誌「国語と国文学」87-6、2010.6.1、pp.48-64。
明治期俳句の「旧派」の代表、三森幹雄は俳諧教導職を担った俳人である。彼は明治新政府の方針に沿った俳句活動を行ったことで知られるが、正岡子規に否定されてしまう。その結果、彼は国家政策に盲従した明治の特異な宗匠である、と現在まで見なされるようになった。しかし、彼は江戸後期以来の「俳句=庶民教化」観の明治版であり、彼は特異な俳人ではない可能性が高いこと、また子規達の俳句革新の軸となった「写生」句は、幹雄のような「庶民教化」的俳句観を否定した点に新鮮さが存在していたことを考察した。