2008-03-01から1ヶ月間の記事一覧

写生の成立とその限界――明治の子規達を中心に――   (醍醐会)

*醍醐会(関西在住の実作者による研究会)における発表。京大会館。 明治期の正岡子規達の「写生」の特質を、同時代の俳諧宗匠達と比較することで探ることで、「写生」が単なる自然描写ではなかったことを述べた。 そして、室町期連歌や江戸期俳諧は「写生…

大正十年『書生』生活 学校・教育   (「彷書月刊」)

■「彷書月刊」24-4、2008.3.25、pp.26-29。 ■岡本一平の漫画「人の一生」の主人公がどのような学校教育を受けたかを、当時の状況に即して考察した。具体的には、大正期の入学試験内容や朝の朝礼、大学予科に進学する者達の家庭状況、また校舎や教室の配置等…

俳諧を知らざる新聞記者――同時代評の俳人子規像  (「同志社国文学」)

■「同志社国文学」68号、2008.3.20、pp.24-35。 ■正岡子規は、同時代の専業俳人である宗匠達からは俳人と認められていなかった。当時、俳人になるには宗匠株を有し、また連句を巻く知識と経験が必須であったが、両者を無視した子規は素人の新聞記者と見なさ…

「四五」句考   (「俳文学研究」)

■「俳文学研究」49号、2008.3.1、pp.3-4。 ■正岡子規達は江戸期俳人の蕪村を「客観写生」のモデルとして発見したとされるが、その実際の作品は通説と異なることを、数字「四五」を詠んだ句を通じて考察した。

俳諧いまむかし(十六) 「写生」ということ(九) 保田與重郎(その七) (俳誌「氷室」)

*「氷室」16-3、2008.3.1、pp.40-41。 *俳句に関するエッセイ。16回目は近代俳句の「写生」を考察するため、正岡子規の俳句を考察した。