2006-01-01から1年間の記事一覧

俳諧いまむかし(二) 季のうつろい(二) (俳誌「氷室」)

*「氷室」14-12、2006.12.1、pp.32-33。 *俳句に関するエッセイ。2回目は江戸俳諧の季重なりのありようについて綴った。

明治俳諧の「余情」と「只言」――三森幹雄と正岡子規の応酬から   (「日本近代文学」)

■「日本近代文学」75号、2006.11.15、pp.16-31。 ■明治期、正岡子規は「写生」を提唱し、従来の俳句を変革したとされる。しかし、「写生」は同時代俳人から「只言」と批判されたこと、またそれは日本韻文の中でも特異な認識だった可能性が高いことを検討しつ…

俳諧いまむかし(一) 序・季のうつろい (俳誌「氷室」)

*「氷室」14-11、2006.11.1、pp.26-27。 *俳句に関するエッセイ。1回目は京都の島原角屋で催された俳句行事における石川真弘先生とのやりとりから筆を起こしつつ、江戸俳諧と近代俳句の差異について綴った。

「翁」から「芭蕉」へ――明治における芭蕉受容   (俳文学会全国大会)

■第58回俳文学会全国大会(於奈良大学)、2006.10.14。 ■

明治のもう一つの蕪村受容――其角堂永機から秋声会へ   (「大阪俳文学研究会会報」)

■「大阪俳文学研究会会報」40号、2006.10.12、pp.33-38。 ■江戸期の俳人、与謝蕪村は近代に入り正岡子規が発見したとされるが、実際は書画骨董や庵号継承等の世界で蕪村を知る俳人達が多々存在していた。特に老鼠堂(其角堂)永機や尾崎紅葉らと親交のあった…

近代「旧派」の句法   (「俳文学研究」)

■「俳文学研究」46号、2006.10.1、pp.3-4。 ■明治期の人気俳諧宗匠、三森幹雄と老鼠庵永機の句を取り上げた。今や彼らは「月並」とされるが、両者の句風には相違点があり、特に永機には古典などを踏まえた技巧的な句作が多いことを考察した。

「俳声」総目次――明治の俳諧結社「秋声会」の準機関誌について   (「同志社国文学」)

■「同志社国文学」64号、2006.3.20、pp.124-177。 ■尾崎紅葉などが関係した俳誌「俳声」の解題及び総目次。小説家紅葉は俳句にも深く関わり、「秋声会」なる集いを立ち上げたり、また俳壇の有力者達とも交遊があった。 俳誌「俳声」はこの「秋声会」のいわば…

三森幹雄の集金力   (「俳文学研究」)

■「俳文学研究」45号、2006.3.1、pp.2-3。 ■明治期に全国的に著名だった俳諧宗匠、三森幹雄は明治26年の芭蕉二百回忌にあわせて芭蕉神社建立を企画した。その際、全国から多額の寄附が寄せられ、神社はその寄付金で建立されたという。この事例をもとに、俳句…