明治俳諧の「余情」と「只言」――三森幹雄と正岡子規の応酬から   (「日本近代文学」)

  
「日本近代文学」75号、2006.11.15、pp.16-31。
明治期、正岡子規は「写生」を提唱し、従来の俳句を変革したとされる。しかし、「写生」は同時代俳人から「只言」と批判されたこと、またそれは日本韻文の中でも特異な認識だった可能性が高いことを検討しつつ、一例として「写生」以前と以後では季節感が変容した可能性があることを考察した。