2008-01-01から1年間の記事一覧

『戦後詩誌総覧』2巻(和田博文・杉浦静編) (日外アソシエーツ)

戦後詩誌総覧〈2〉戦後詩のメディア2「詩学」「詩と批評」「詩と思想」作者: 和田博文,杉浦静出版社/メーカー: 日外アソシエーツ発売日: 2008/12メディア: 単行本この商品を含むブログ (1件) を見る *戦後に刊行された著名詩誌の総目次を、書誌としてまとめ…

「感念」のありか――明治二〇年代における俳諧矯風運動 (「同志社国文学」)

■「同志社国文学」69号、2008.12.20、pp.30-43。 ■俳句革新の推進者である正岡子規以前にも、俳句改良を目指す俳人達が存在したことはさほど知られていない。その一人、石川鴬洲は美学及び「文学」の新概念で俳句を新たに捉え、多数の論を発表したが、彼は論…

俳諧いまむかし(二十五) 「写生」ということ(十八) 保田與重郎(その十六) (俳誌「氷室」)

*「氷室」16-12、2008.12.1、pp.32-33。 *俳句に関するエッセイ。24回目は近代俳句の「写生」を見定めるため、保田與重郎の正岡子規論や子規の「写生」」観を考察した。

明治の子規(続)   (「子規新報」)

■「子規新報」2-20、2008.11.10、p.6。 ■正岡子規は東京帝国大学出身で、学生の頃は最新の西欧諸学問を吸収することが可能な環境にあり、それが後の俳句観に強い影響を及ぼしていることを考察した。

俳諧いまむかし(二十四) 「写生」ということ(十七) 保田與重郎(その十五) (俳誌「氷室」)

*「氷室」16-11、2008.11.1、pp.28-29。 *俳句に関するエッセイ。24回目は近代俳句の「写生」を見定めるため、正岡子規の俳論を考察した。

明治期旧派の蕪村言及記事紹介(二)  (「大阪俳文学研究会会報」)

■「大阪俳文学研究」42号、2008.10.12、pp.41-46。 ■「明治期旧派の蕪村言及記事」(大阪俳文学研究会会報、2007.10)の補遺として、「旧派」俳諧宗匠の雑誌類から蕪村言及記事を列挙し、また全体の解説を付した。 「旧派」の言説と子規達の言説とを比較した…

明治「月並」の句法   (「俳文学研究」)

■「俳文学研究」50号、2008.10.1、pp.2-3。 ■明治の俳諧宗匠、三森幹雄の句を取りあげ、「月並」と一括りにされた明治俳句の類型表現の特徴を考察した。

俳諧いまむかし(二十三) 「写生」ということ(十六) 保田與重郎(その十四) (俳誌「氷室」)

*「氷室」16-10、2008.10.1、pp.30-31。 *俳句に関するエッセイ。23回目は近代俳句の「写生」を見定めるため、保田與重郎の河井寛次郎評を通じて保田と子規の「自然」観とを比較考察した。

明治の子規   (「子規新報」)

■「子規新報」2-19、2008.9.10、p.6。 ■正岡子規は俳人として著名であるが、彼の知識体系の背景には東京帝国大学生としての経験が強く影響していることを述べた。

山口誓子のスポーツ俳句について (空の会)

*第34回「空の会」、2008.9.7、大阪なんばOCATビル、難波生涯学習センター。 *昭和初期のスポーツ流行が俳句に与えた影響の大きさと、その結果句作にどのような変化が生じたかを、山口誓子の作品を中心に述べた。聴衆の方々は俳句実作者。

テークオフ ユニークな俳文学研究   (関東版「朝日新聞」夕刊)

■第17回柿衞賞(伊丹市柿衞文庫主催)受賞に関するインタビュー記事。

俳諧いまむかし(二十二) 「写生」ということ(十五) 保田與重郎(その十三) (俳誌「氷室」)

*「氷室」16-9、2008.9.1、pp.30-31。 *俳句に関するエッセイ。22回目は近代俳句の「写生」を見定めるため、保田與重郎の河井寛次郎への評価を考察した。

子規と心理学 関係探る (朝日新聞夕刊、関西版)

*「朝日新聞」2008.8.21夕刊、関西版、3面。 *第17回柿衞賞受賞のインタビュー記事。記者は高橋真紀子さん。

俳諧いまむかし(二十一) 「写生」ということ(十四) 保田與重郎(その十二) (俳誌「氷室」)

*「氷室」16-8、2008.8.1、pp.28-29。 *俳句に関するエッセイ。21回目は近代俳句の「写生」を考察するため、保田與重郎の明治俳諧観を探った。

俳諧いまむかし(二十) 「写生」ということ(十三) 保田與重郎(その十一) (俳誌「氷室」)

*「氷室」16-7、2008.7.1、pp.28-29。 *俳句に関するエッセイ。20回目は近代俳句の「写生」を考察するため、保田與重郎の俳諧観を探った。

芭蕉 俳人としての誇り   (総合俳誌「俳句研究」)

■総合俳誌「俳句研究」75-3号、夏号、2008.6.15、pp.116-117。 ■近代俳人の芭蕉像は正岡子規の価値観を踏襲した形で受け継がれている。まず、子規の芭蕉像を明治期の俳諧宗匠達の芭蕉観と比較することでその特徴を見定め、そして戦中の山口誓子や戦後の中村…

「写生」と心理学――正岡子規の「連想」を手がかりに (第17回柿衞賞受賞記念講演)

*第17回柿衞賞受賞記念講演(於柿衞文庫)、2008.6.9。 *「「天然ノ連想」 正岡子規と心理学」(「連歌俳諧研究」)の柿衞賞受賞講演。

第17回柿衞賞   (「広報伊丹」1134)

■第17回柿衞賞(伊丹市柿衞文庫主催)受賞の記事。

俳諧いまむかし(十九) 「写生」ということ(十二) 保田與重郎(その十) (俳誌「氷室」)

*「氷室」16-6、2008.6.1、pp.32-33。 *俳句に関するエッセイ。19回目は近代俳句の「写生」を考察するため、正岡子規の俳句や保田與重郎の子規観を考察した。

柿衞賞   (「神戸新聞」)

■第17回柿衞賞(伊丹市柿衞文庫主催)受賞の記事。

三森幹雄と正岡子規の「眼」――明治俳諧における「写生」の位相  (「日本近代文学」)

■「日本近代文学」78号、2008.5.15、pp.36-51。 ■正岡子規が提唱した「写生」は映像を彷彿とさせるリアリズムとされ、西洋画を参考にしたとされる。しかし、俳句自体における「写生」の意義はさほど考察されなかった。そこで、江戸期以来の言説を継承する俳…

俳諧いまむかし(十八) 「写生」ということ(十一) 保田與重郎(その九) (俳誌「氷室」)

*「氷室」16-5、2008.5.1、pp.30-31。 *俳句に関するエッセイ。18回目は近代俳句の「写生」を考察するため、正岡子規の俳句や俳句史観を考察した。

俳諧いまむかし(十七) 「写生」ということ(十) 保田與重郎(その八) (俳誌「氷室」)

*「氷室」16-4、2008.4.1、pp.32-33。*俳句に関するエッセイ。17回目は近代俳句の「写生」を考察するため、正岡子規の俳句と明治俳諧の作品とを比較考察した。

写生の成立とその限界――明治の子規達を中心に――   (醍醐会)

*醍醐会(関西在住の実作者による研究会)における発表。京大会館。 明治期の正岡子規達の「写生」の特質を、同時代の俳諧宗匠達と比較することで探ることで、「写生」が単なる自然描写ではなかったことを述べた。 そして、室町期連歌や江戸期俳諧は「写生…

大正十年『書生』生活 学校・教育   (「彷書月刊」)

■「彷書月刊」24-4、2008.3.25、pp.26-29。 ■岡本一平の漫画「人の一生」の主人公がどのような学校教育を受けたかを、当時の状況に即して考察した。具体的には、大正期の入学試験内容や朝の朝礼、大学予科に進学する者達の家庭状況、また校舎や教室の配置等…

俳諧を知らざる新聞記者――同時代評の俳人子規像  (「同志社国文学」)

■「同志社国文学」68号、2008.3.20、pp.24-35。 ■正岡子規は、同時代の専業俳人である宗匠達からは俳人と認められていなかった。当時、俳人になるには宗匠株を有し、また連句を巻く知識と経験が必須であったが、両者を無視した子規は素人の新聞記者と見なさ…

「四五」句考   (「俳文学研究」)

■「俳文学研究」49号、2008.3.1、pp.3-4。 ■正岡子規達は江戸期俳人の蕪村を「客観写生」のモデルとして発見したとされるが、その実際の作品は通説と異なることを、数字「四五」を詠んだ句を通じて考察した。

俳諧いまむかし(十六) 「写生」ということ(九) 保田與重郎(その七) (俳誌「氷室」)

*「氷室」16-3、2008.3.1、pp.40-41。 *俳句に関するエッセイ。16回目は近代俳句の「写生」を考察するため、正岡子規の俳句を考察した。

其角堂永機の短冊   (『平成石なとり』所収)

*『平成石なとり』夢工房、2008.2.20。共著。 *明治期の俳諧宗匠、其角堂永機を対象とした。歌舞伎役者や文学者らとの交際を追うことで、永機の俳諧サロンの幅広さを指摘し、また永機の短冊の筆致と歌舞伎役者の筆致の類似等を参照しつつ、活字のみでは窺…

『現代詩大事典』(大岡信他監修・和田博文他編集、三省堂)

ISBN:978-4385153988:detail *近現代詩の事典。詩誌「書紀」(338)「パテ」(546)「ペリカン」(593)、また詩人「石原武」(57-58)「塔和子」(468)「永島卓」(487)「中村文昭」(503)「新倉俊一」(508)「野沢啓」(526-527)「原子修」(550)項…