明治のもう一つの蕪村受容――其角堂永機から秋声会へ   (「大阪俳文学研究会会報」)

 
「大阪俳文学研究会会報」40号、2006.10.12、pp.33-38。
江戸期の俳人与謝蕪村は近代に入り正岡子規が発見したとされるが、実際は書画骨董や庵号継承等の世界で蕪村を知る俳人達が多々存在していた。特に老鼠堂(其角堂)永機や尾崎紅葉らと親交のあった角田竹冷など、江戸=東京育ちの都会俳人達は蕪村を書画骨董を通じて知っていたと推定される。彼らと子規達を比較すると、子規らの蕪村解釈が特異であった可能性が高いことを考察した。