俳句時評 歴史に対する敬虔さ (「朝日新聞」全国版)

「朝日新聞」2019.6.30、朝日俳壇・歌壇欄、13面。
俳句時評。川名大氏の「富澤赤黄男戦中日記」、また台湾の俳誌「ゆうかり」等を紹介した。以下は全文。
 
 
沖縄戦の慰霊日は6月23日である。組織的戦闘が終了した日とされるが、戦争が終結したわけではなかった。
 例えば、台湾へ疎開した沖縄人は敗戦直後に帰沖できず、国民党支配下の台湾で困窮に喘いだ歴史はさほど知られていない。私たちは過去に埋もれた多くの出来事に気付くことすら稀で、俳句史も同様である。
 
 その点、「俳壇」最新号に研究者の川名大が寄せた資料論考「富澤赤黄男戦中日記」は貴重だ。赤黄男は<蝶墜ちて大音響の結氷期>等を詠んだ昭和新興俳句の雄で、中国に出征した俳人である。彼は従軍中も句を詠み、それを自身で句日記としてまとめ、第一句集を編む際の底本とした。その句日記と句集を検証したのが川名論で、例えば日記中の<めつむれば虚空を赤き馬おどる>は、句集では「赤き」が「黒き」と修正されていた。川名は「血みどろの馬のイメージが戦意高揚に悖る」ための改変では、と推測する。
 
 微細な調査に見えるが、根底には歴史に対する敬虔さがある。都合の良いイメージを過去に当てはめるのではなく、俳句史に埋もれた事実を謙虚に探り、しかも誠実に復元するには地道な研究の積み重ねしかないと信じるゆえに、川名は過去の資料を尊重し、丁寧に読み解くのだ。
 
 ところで、台湾の俳誌「ゆうかり」昭和11年7月号には社寮島(現和平島)吟行記事が見える。そこは多数の沖縄人が移住した島だった。吟行時の次の句は長閑だが、例えば句中の人々が昭和20年以後をいかに生きたかは杳として知れない。
 
  芋植えて琉球人の一部落  壺 陽