俳句時評 それぞれの地で (「朝日新聞」全国版)

「朝日新聞」2019.1.27、朝日俳壇・歌壇欄、面。
俳句時評。以下は全文。
 
 
それぞれの地に生き、各々の句業に励む人々がいる。東京在住の高山れおなは「芸術新潮」編集に携わりつつ、句作に勤しんできた。江戸期の其角や昭和期の加藤郁乎のように洗練された遊びとして発句を弄ぶ高山の一端を、『冬の旅、夏の夢』(朔出版、昨年12月)に見てみよう。
 
  唐津これ陽炎容るゝうつはもの
 
 備前や伊万里でもなく唐津焼、その質感はまさに「陽炎」を容れるに相応しいと見立てた句だ。句集は装幀ともども凝った作りで、闊達な遊び心に満ちている。
 
 盛岡に住む工藤玲音は文才に恵まれた俳人で、短歌等も手がける。東北の若手が集う俳誌「むじな」に参加し、最新号(昨年11月)に次の句を発表した。
 
  なめくじをゼウスと呼ぶ子中退す
 
 湿気と日陰を好む「なめくじ」を、ギリシャの最高神たる「ゼウス」と呼び習わす「子」が学校を中退した。その「子」はいかなる人物で、その後どうなったのか。人間の宿命やドラマを思わせつつ、悲劇とも喜劇ともつかないおかしみが漂うところに作者の才が感じられる。
 
 昭和戦後期に奈良で活躍した橋本多佳子創刊の「七曜」終刊後、息女の橋本美代子は今も奈良に住み、「ぽち袋」に句を発表している。それは元「七曜」の人々による俳誌で、往時の灯を絶やさぬよう誌面に集い、句作を続けているのだ。
 
 それぞれの土地に住み、各々の信条や宿命を背負いつつ黙々と句作に勤しむ俳人たち。例えば、「ぽち袋」2月号の橋本美代子のまなざしはいまだ瑞々しい。
 
  寒水を一口聖書説く途中  橋本美代子