俳句時評 誠実な評伝  (「朝日新聞」全国版)

「朝日新聞」2018.8.26、朝日俳壇・歌壇欄、面。
俳句時評。以下は全文。
 
 
福岡の竹下しづの女(1887~1951)という俳人をご存じだろうか。
 
  短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)
 
 狭い家で寝苦しい夏の夜、眠りを妨げてお乳を催促するわが子を捨てっちまおうか…。無論、するはずもないが、あらゆる家事がのしかかる主婦の一瞬の苛立ちを詠んだ大正期の句だ。高浜虚子選句の「ホトトギス」雑詠欄巻頭(最優秀句)を飾り、彼女の代表句となった。
 
 7月刊行の坂本宮尾『竹下しづの女』(藤原書店)はしづの女初の本格評伝で、多くの資料を丁寧に味読した労作である。彼女は先の句で有名だが、その生涯や俳句遍歴の詳細な研究書はなかった。
 
 しづの女は当時最高の女性教育を受け、教壇に立ち、結婚後は母として五人の子育てに奮闘し、夫の急死後は図書館に勤務して一家を支え、句作も怠らなかった。戦前の男尊女卑の中、漢籍にも親しみ、物事をはっきり言う性格に眉をひそめる人々もいたが、気性のさっぱりした姉御肌を慕う俳人は多かったという。戦時中に息子が立ち上げた学生俳誌「成層圏」にも助力を惜しまず、若き金子兜太も参加している。敗戦後に老母と家族の米を確保しようと自力で田を耕し、無理が祟ったのか、昭和26年に逝去した。
 
「竹下しづの女は福岡が生んだあっぱれな女流俳人である」(まえがき)。戦前の男性社会の中、母として、主婦として、そして表現者として昂然と胸を張り、生き抜いた女性俳人がいたこと。その軌跡をたどる坂本の『竹下しづの女』は、心ある読者に手に取ってほしい一書だ。