俳句時評 「写生」の妙味  (「朝日新聞」全国版)

「朝日新聞」2018.7.1、朝日俳壇・歌壇欄、11面。
俳句時評。以下は全文。
 
 
「写生」は自由闊達の世界、と喝破した俳人がいた。名は波多野爽波(1923~1991)、「ホトトギス」で修行後に「青」主宰となった俳人である。
 
  焼藷の破片や体を伝ひ落つ
  炬燵出て歩いてゆけば嵐山

 
 不思議な句だ。焼藷や嵐山らしいイメージとそぐわない体験を詠んだためだろう。「写生」は単なる観察ではなく、私たちの美意識を揺るがす現実の意外な体験に驚く感性であり、予定調和から逃れ、自由になろうとする認識だった。爽波が激賞した辻桃子の句を見てみよう。
 
  虚子の忌の大浴場に泳ぐなり
 
 高浜虚子の忌日に不謹慎な、と眉をひそめてはいけない。この意外さが「写生」の妙味なのである。辻は現在「童子」主宰で、同5月号に次の句を発表した。
 
  餅間ひの焼葱むくやホッと湯気
 
 正月の馳走に飽き、日常の食に「ホッと」したというユーモラスな発見が、ゆかしい「餅間ひ」(正月の餅を食べ、小正月まで餅のない合間)と絡みあうことで日常の小事を新鮮に浮き上がらせている。
 
 常識や習慣、先入観に支えられた毎日の中、私たちは様々な出来事をやり過ごしている。普段は当然と思いこみ、疑問を感じない体験の一つ一つに驚き、日常の驚異に目を見開くのが「写生」なのだ。
 
 波多野爽波の「青」で修行し、「秋草」主宰となった山口昭男は「俳句」6月号に最新作を発表している。例えば次の句は、この世があることの不思議を小さな日常に発見した、闊達な「写生」句だ。
 
  籐椅子に霧吹のころがつてゐる   山口昭男