俳句時評「俳句遺産01 凍える美しさ 宇佐美魚目句集」  (「現代詩手帖」)

「現代詩手帖」57-1,2014.1.1、64p。
総合詩誌「現代詩手帖」の俳句時評。第一回は『宇佐美魚目句集』(青磁社)の紹介。以下は全文。
 
 
昭和二十八年春に独裁者スターリンが没すると、シベリアのラーゲリにも特赦が福音のように訪れた。
 ハバロフスクで重労働刑を課された石原吉郎も帰国が許され、彼は同年冬に舞鶴の地を踏むことになる。しかし、日本ではソ連帰りの彼に眉をひそめる者が多く、しかもシベリア抑留の記憶は拭い去ることのできない「現在」として石原の全身を侵した。彼は懊悩し、苦しい胸中を言葉で表現しはじめる。後に『サンチョ・パンサの帰郷』に結実する詩がこの世に現れた瞬間だった。
 
 その石原がまだ中央アジアの収容所にいた頃、元美術教師の香月泰男はシベリアの強制労働から解放され、帰国していた(昭和二十二年)。石原同様に抑留の記憶に苛まれた香月は絵筆を取り、生々しい暗闇と静けさを湛えた油絵を描き始める。この彼の洋画に衝撃を受け、啓示のように魅入られたのが俳人宇佐美魚目であった。
 
 大正十五(一九二六)年生まれの魚目は書家を本業とする俳人である。高浜虚子率いる「ホトトギス」で「写生」の句作修行を経て橋本鶏二に師事した後、波多野爽波に就いた。魚目はいずれも「写生」を旨とする俳人を師と仰いだのであり、鶏二や爽波の「写生」とは次のような作品である。
 
  巌襖しづかに鷹のよぎりつつ  鶏二
  茸番の声を発する続けざま   爽波

 
 あるがままの現実を刻印すること、つまり単なる描写や事実報告でなく、予定調和の「風景」を破壊するために生々しい「現在」を句に刻みこむこと。鶏二や爽波から魚目が学んだ「写生」は、一般に言われる「見たままを詠むこと」というあり方とはおよそ異なる認識であった。
 
  歯朶刈の息するするとうごく山  魚目
  白昼を能見て過ごす蓬かな 
  からくりの糸いづこにも霜柱
  蟻殺す湯にいきものの走り見え

 
 魚目の句において、「人間=他者」はさほど意味を持たない。作品に現れたとしてもそれは血の通わない、気配として漂う何かに近く、穏やかな幽霊のように風景をたゆたっている。魚目の「写生」とは「人間」を消去する美意識の別名なのであり、それが強烈な「現在」の風景として描かれた時、その句は非人情の美しい世界を現出させるだろう。
 
  香を聞くすがた重なり春氷    魚目
  きさらぎの針の絹糸母のこゑ

 
 ここには石原のように身を斬るほどの切実さや、香月のように生々しい闇はない。しかし、「人間」はどこからともなく現れる「すがた」や「こゑ」でなければならないという「現在」の姿がいかに殺伐としているか、敏感な読者は気付くであろう。その寒々しい、「人間」の価値を感じさせない世界のイメージとして、石原の詩や香月の絵におけるシベリアを想定するのは不遜だろうか。
 
 香月泰男の絵を狂おしいばかりに愛した俳人、宇佐美魚目。その彼の七句集をまとめ、索引や年譜を付した『魚目句集』(青磁社)が刊行された。魚目は著名受賞の経歴がないため俳壇では玄人筋が注目するのみだが、後世の心ある人士はこの書を繙くに違いない。その時、例えば次の句に驚嘆するであろう。
 
  初夢のいきなり太き蝶の腹    魚目