俳句時評 伝統の自覚  (「朝日新聞」全国版)

「朝日新聞」2018.11.25、朝日俳壇・歌壇欄、面。
俳句時評。以下は全文。
 
 
伝統は自然に存在しない。伝統を自覚し、救い出そうと努力する人々の営為にこそある、そう述べたのは小林秀雄だった(「伝統について」)。俳句の場合、例えば先人の句業をまとめ、読み解く営為がそれに当たるといえようか。
 
 『福田甲子雄全句集』(ふらんす堂、10月)は伝統の息吹漂う一書だ。福田(1927~2005)は結社「雲母」の飯田蛇笏・龍太親子の下で句作に励み、自意識と自然の霊威が混淆した作風の巧者だった。
 
  研ぎをへし斧に錆の香山しぐれ
 
 鼻につくような「錆の香」が、冬山のそぼ降る時雨に漂う世界。あるいは『今井杏太郎全句集』(角川書店、9月)も伝統を自覚した一書といえよう。
 
  老人のまはりに増ゆる木の実かな
 
 省略の仕方が絶妙で、「老人」も晩秋の「木の実」の世界も浮遊感漂う不思議な存在に変貌している。今井(1928~2012)は石塚友二ら「鶴」に学びつつ独自の作風を確立したが、彼や福田甲子雄ら職人肌の俳人は没後埋もれかねない。それを憂慮した弟子や関係者らが将来に遺すべきものと奔走した結果が全句集であり、つまり両俳人の句業を守るべき伝統と信じた人々の営為あっての結晶なのだ。
 
 小澤實『名句の所以』(毎日新聞出版、9月)も古今の佳什を蘇生させた一書である。艶冶な<襟あしの黒子あやふし朧月 竹久夢二>や、前衛的な<虹自身時間はありと思いけり 阿部青蛙>までの多様な句群を味読している。過去の句が伝統たりえるのは、それを今なお魅力ある作品と信じる私たちの営為にかかっている。