この本 この一句  (総合誌「俳句界」)

「俳句界」23-8、2017.8.1、pp.204。
石渡旬氏の句集『蒿雀籠』の一句評。
 
  団栗の両手に余る昔かな
  
 掲句を、本句集に収められた「薬狩むかしひ弱な子でありし」と比較してみよう。「薬狩」句の方は、かつて幼少時は「ひ弱」な身体だったが、それでも年を重ね続け、今や「ひ弱」だった子どもの頃を懐かしむ程度には健康を保つことができている……それを「薬狩」(陰暦五月の山野で薬草を採ること)の際に思い出した、というのだ。たまたま「薬狩」に行くことになったのか、やはり「ひ弱」な子どもの頃の記憶が作者を「薬狩」に向かわせたのか、いずれかは「薬狩/むかし〜」の切れの深さをどの程度取るかで分かれるが、この「薬狩」句と掲句はやや位相が異なっている。
 
「団栗が両手にあまるほど取れたのは昔のことであった」、つまりかつてそうであったことを思い出しているとすれば、眼前にはそうでない現実が広がっているとなろう。今や団栗を両手いっぱいに集める場所も機会もなくなったが、昔は団栗を両手にあまるほど集めて楽しんだものだ……それをしみじみ懐かしんでいるのだ。あるいは、次の解釈もありえよう。久々に団栗拾いに興じて両手に収まらないほど集まった、そういえば子どもの頃もこうやって遊んでいたことを思い出しているのだ、と。いずれにせよ、過ぎ去った幼少時の頃を慈しみつつ想起する老齢の、満ち足りた懐旧の念が言外に漂っている。その点、掲句は俳句らしい抒情を湛えた作品といえよう。
 一九三五年生まれ。「方円」主宰。俳人協会会員。