【公開エッセイ】趣味と写真と、ときどき俳句と28 愛媛県の岩松と小野商店

サイト「セクト・ポクリット」、2022.10.17。
趣味や大学の授業、俳句その他の随筆。28回目は拙著『愛媛 文学の面影』南予編で紹介した愛媛県の岩松と獅子文六について、また岩松の小野商店内に設えられた大竹伸朗コーナーについて綴った。
 


 
愛媛ゆかりの文学や文化について綴った『愛媛 文学の面影』(創風社出版、2022)は、当初は一冊の予定だった。しかし、予想以上に膨らんだことや諸事情が重なり、愛媛三地方(東予・中予・南予)に分けた三部作として本を出すことになった。
 
三部作で最も分量が多いのは南予編であり、原稿段階では現在より50ページ強も多かった。あまりに増えたため、50ページほど削って現在の量に落ち着いたのだが、なぜ執筆途中で「書きすぎでは?」と気付かなかったのか、今から思うと不思議である。狸(四国なので狐ではない)に化かされていたのだろうか。
 
大江健三郎氏と内子の章や大洲市の章、また坪内稔典氏と九町の章や、大竹伸朗氏と宇和島の章等はページ数が多く、スリムに整えて完成原稿とした。他の章もいずれも調整して短縮しており、岩松の章も当初よりページ数を抑えてまとめている。
 
岩松は敗戦後に小説家の獅子文六が一時疎開したことで知られ、彼の代表作である『てんやわんや』『娘と私』等の舞台になった町でもある。私は2019年に宇和島からバスに乗って訪れたことがあり、拙著の岩松の章ではバスから降りた時の印象から筆を起こしている。

宇和島駅からバスに乗って岩松に向かい、しばらく経つと車窓の向こうに川が見え始めた。大きな川で、バスを降りると潮の匂いが微かに漂っている。かつて岩松は津島一帯の物資集散地として栄え、河岸には千石船が並び、河口近くの港から九州や瀬戸内、大阪方面へ船が往き来したという。江戸期から明治、大正期あたりまで岩松には木炭や生蝋、鮮魚や干鰯その他の膨大な物資が集い、各地へ運ばれていった。停留所でバスを降りて海の淡い香りを感じた時、かつて船が物資の流通を担った時代の面影を微かに感じた気がしたのだ。
(南予編所収「東小西家の松風 ―獅子文六、小西萬四郎、吉井勇など」)

 
文六はかような岩松に約二年間疎開したわけだが、町の本通りに小野商店というお店があり、俳句をされている小野更紗氏がご夫妻で切り盛りされている。2019年に岩松に立ち寄った際、ふと思いついて小野商店にうかがったところ、ご夫妻ともにご在宅だった。突然おうかがいする形になってしまったが、町並みを案内下さるなど様々にご配慮下さり、ご厚意に甘えて岩松に遺る蔵や建築等を見学させてもらった。
 
小野さんのお店で驚いたのは、大竹伸朗氏のコーナーが設けられていたことだ。大竹氏は宇和島在住の芸術家であり、小野さんは年来のファンである。そのため、商店内には大竹氏のTシャツや「ガチャ景」(大竹作品をカプセルフィギュアにしたもの)が所狭しと置かれていた。
 


(小野商店内の大竹氏コーナー。氏の記事や写真が掲載された雑誌等が並べられている。一番上の棚に置かれたぶ厚い本は『全景』(2007))

 
私は店内のコーナーに並べられたグッズをひとしきり眺めた後、「ガチャ景」で自由の女神像を入手したり、小野さんのご案内で岩松を散策したりした。
 

(岩松の本通りに面した阿部邸。岩松に三軒あった蔵元のうち、最後まで酒造業を営んだ)
 
それは2019年の夏で、もちろん誰もマスクはしていなかった。宇和島市からバスで30分ほどかけて岩松に向かい、小野商店で小野さんご夫妻と大竹氏について語り合ったり、岩松の町を散策しながら獅子文六に思いを馳せたりしたひとときは、どこか昔に見た夢のように感じられる。
  

 
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