【公開エッセイ】趣味と写真と、ときどき俳句と26-2 愛媛県南予地方と宇和島の牛鬼2

初出:サイト「セクト・ポクリット」、2022.4.15。
趣味や大学の授業、俳句その他の随筆。26回目からは愛媛県宇和島市等の南予地方で有名な牛鬼について綴った。今回はその二回目。
 

柱に高々と掲げられた異形の面を見た時、私は宇和島に来たことを実感するとともに、現代美術家の大竹伸朗氏(宇和島在住、詳細はwiki参照)のエッセイを肌で実感した思いがした。
 

夏祭りの季節だ。
宇和島では毎夏七月後半の和霊大祭と牛鬼まつりの同時開催が恒例だが、なぜかこの時期は宇和島に不在がち、祭りを通しで体験することは意外と少ない。
久しぶりに祭り前のざわつき感に浸った。子供衆の声が新鮮に響く。
市内中心部に位置する商店街は直線状に六〇〇メートルほどのびる緩やかなスロープで、元はバス通りだったこともあり、街の規模とは不釣り合いに道幅が広い。
祭りが近づくと毎土曜日に夜市がたち、連の数々が踊りの練習場として使用するため、普段は閑散としているシャッター街もこの時期だけは活気を取り戻す。(『ナニカトナニカ』より)

 
「和霊大祭と牛鬼まつり」云々とは、宇和島で毎年七月二十二日から同二十四日にかけて三日間催される大規模な祭りである。ダンスや踊り、また牛鬼の練り物と和霊神社の大祭が同時開催となるため、市内あげての熱気が渦巻く時期であり、大竹氏も記すように祭りが近づくとアーケードに夜市が立ち、その脇では各グループ(「連」)がダンスや踊りの練習をするため、閑散としたシャッター街にも活気が戻るのだ。
 
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(宇和島の夜市名物「カメレース」の映像)
 
牛鬼まつりの主役である牛鬼は異形の巨大な怪物で、南予一帯に伝わる邪気払いの山車である。ドンガラといわれる胴体は長さ約五、六メートル、また幅が約三メートルもあり、竹を割って組まれた骨組みに焦茶色の棕櫚の毛(樹皮)を被せたものである。首は麒麟のように空に向かって高く伸び、その顔は異形の鬼面で、頭には二本の角が生えており、剣を象った尻尾が付いている。

 
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(アーケード内や付近での牛鬼の練り歩き)
 
牛鬼の胴体は二十~三十人が中に入って担ぎ、練り歩く時は子どもたちが竹法螺(ブーヤレともいう)を吹き鳴らしながら付き随う。ボーッ、ボーッと鳴る音は牛鬼の吠え声を模したとされ、牛鬼は竹法螺や人々の歓声とともに練り歩くことで邪気を祓いつつ、商店や民家の戸口に長い首を突っ込んでは商売繁盛や無病息災をもたらす。
 
かような牛鬼の由来は諸説あり、例えば加藤清正が朝鮮出兵の折に野生の虎を寄せ付けないために考案したという伝説や、戦国時代に喜多郡の豪族だった戸田氏が赤布で牛鬼を作り、やはり猛獣の襲来を防いだという伝承もあるが、詳細は不明である。江戸中期頃から文献に現れ始め、著名なのは吉田藩領内の祭礼を描いた絵巻に登場する牛鬼であろう。八幡神社の秋祭りを描いた絵巻で、現在とほぼ同じ牛鬼が神輿の先導役を担っていたことがうかがえる。
 
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愛媛県歴史博物館サイトの「八幡宮御祭礼画図」より。前半に牛鬼が描かれている。
 
かような絵巻に描かれたように、魔除けの牛鬼は神社の秋祭りで神輿の先導を務める役だったが、戦後の宇和島は観光活性化のため七月下旬の祭りとして牛鬼も練り歩くことになった。佐田岬や吉田、岩松といった宇和島以外の地域では従来通り秋祭りとして牛鬼が出る場合が多いが、いずれにせよ今も南予で見られる異形の山車である。(3へ続く)
  


  
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上記文章を2022年に「セクト・ポクリット」に発表後、拙著『愛媛 文学の面影』南予編(創風社出版、2022)に大幅に増補して収録した。