俳句時評 「こころ」と「鰯」 (「朝日新聞」全国版)

「朝日新聞」2019.7.28、朝日俳壇・歌壇欄、11面。
俳句時評。宮坂静生『俳句必携 1000句を楽しむ』、小川軽舟『朝晩』、時実新子の川柳集『愛は愛は愛は』を紹介した。以下は全文。
 
 
句作のコツを説く入門書は多いが、何を俳句と見なすかは自身で探り、信じる他ない。
  
 宮坂静生(81)の『俳句必携 1000句を楽しむ』(5月、平凡社)は次のように説く。「俳句は、こころの表現である。私の思いや考えが季節の移ろいや社会の変化に触発され、ことばにいのちが託される」
 
 本書が挙げた七月の句を見てみよう。<泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む><滝落ちて群青世界とどろけり><夕すずみよくぞ男に生まれけり>。一句目の永田耕衣句は禅問答のようで、次の水原秋桜子句は滝の荘厳さを日本画風に描き、江戸期の其角句は天晴れな脱ぎっぷりを見得を切るように詠んだ。
 
 かくも闊達な句群を前に愛好者は悩むかもしれない。「こころの表現」とは何か、と。小川軽舟(58)の『朝晩』(7月、ふらんす堂)を見てみよう。
 
  一階に管理人住む蚊遣かな
  踏切に見上ぐる電車クリスマス

 
 小川は日常生活の些事と季節感を組み合わせつつ「私」のペーソスを漂わせる手練れだ。より上手に詠みたいと願う初心者は、小川のような句群を目標に励むと「こころ」を表現しやすくなろう。
 
 同時に、「こころ」に明確な答えはない。今日の結論は明日の疑問となり、往時の不安はある日の確信となる。その時間に耐える信念に「いのち」(宮坂)が宿るのだ。例えば、故時実新子の川柳集『愛は愛は愛は』(6月、左右社)に秋の季語の句がある。それをいかに受け取るかは、あなたにかかっている。
 
  人や憂し鰯はザルに溢れいて