*「朝日新聞」2018.12.23、朝日俳壇・歌壇欄、11面。
*俳句時評。以下は全文。
*崩壊や喪失を経た後も、現世に生きる私たちは長い時間を過ごさねばならない。例えば、宮城の高野ムツオ(71)は東日本大震災から六年後に次の句を詠んだ。
吹雪くねとポストの底の葉書たち
彼の『語り継ぐいのちの俳句』(朔出版、10月)によると、正月過ぎの福島駅前ポストに想を得たという。底には賀状の返礼等も何通か重なっていようし、「葉書には、避難先の親戚、知人宛に混じって、この世にはない人の名や住所がしたためられているのもあったかもしれない。(略)旅立ちを待って、かさこそと囁く音が聞こえた気がした」(自句自解)。
高野がポスト内の暗がりに無言の声を感じ、しかも童話めいた調子で詠んだのは、被災した以上は永劫の喪失と間延びした日常の中で暮らさねばならぬと腹を据えたためだ。生き残った者と死者双方への悼みが、吹雪に包まれたポストの底に寄りそう「葉書たち」に重ねられている。
一方、奈良の茨木和生(79)は今年の春に妻を亡くした。ネフローゼだった。茨木は自身の境涯よりも土地の習俗を詠み続けた俳人で、最新句集『潤』(邑書林、10月)にも<日盛の島神官と巫女歩く>等が収録される。その彼が、『潤』の表紙を妻の遺した絵で飾った。
茨木の妻は亡くなる数日前に「青空」と口にし、最期に「だいすき」と夫に告げたという。
思い出は悼みとなり、明日への祈りとなる。喪失は日々強く、今日を親しげに包み、現世の私たちを祝福するだろう。もうすぐ春が光とともにやってくる。
妻植ゑてゐたる花食べ雀の子 茨木和生(『潤』)