俳句時評 うつろいの響き   (「朝日新聞」全国版)

「朝日新聞」2020.3.29、朝日俳壇・歌壇欄、15面。
俳句時評。安里琉太氏『式日』、藤田哲史氏『楡の茂る頃とその前後』、宮本佳世乃氏『三〇一号室』、真鍋呉夫全句集等を紹介した。以下は全文。

 冬から春のうつろいを句で綴ろう。空から雪片がひとひら、またひとひらと降り始めた頃、俳人は次のように眺めていた(安里琉太『式日』2月、左右社)。

  初雪が全ての瓶に映りこむ

 冬空から雪が舞い下り、現世の全ての瓶に映りこむという思念の華やぎ。そのささやかに心躍るひとときも気付けば過ぎ去り、冬のさ中に春めいた日が訪れる。柔らかい陽ざしを感じつつ、次のように過ごすのも素敵だ(藤田哲史『楡の茂る頃とその前後』昨年11月、左右社)。
 
  冬晴やソース含めるメンチカツ
 
 気持ちよく晴れた冬日の下、メンチカツの湯気が立ち上る。衣の香ばしさ、ソースの味わい。小さな幸せの一つだ。

 ただ、これらの何気ない喜びに彩られた日常はあまりに馴染み深いため、喪失後に初めて尊さに気付く場合が多い。それは痛切な響きを伴いながら、いつの世も繰り返されたやるせない悼みだった。

  春の泥ブルーシートの奥は海
 
 宮本佳世乃『三〇一号室』(昨年12月、港の人)の句で、東北のある地では春を迎えても往時の日常が戻らないままだ。
 
 冬から春へ季節はうつろい、昔から変わらぬ倦怠じみた喜びや哀しみを抱きつつ空を見上げると、青々と慈しむように晴れている。やがて桜の花片は風に乗り、ひとふしの調べのように散りゆくだろう。『眞鍋呉夫全句集』(1月、書肆子午線)の句のように無常迅速の響きを奏でながら、彼岸の魂をも慰撫するように。
 
  物言はぬはなびら物を言ふ魂