俳句時評 忘却と想起   (「朝日新聞」全国版)

「朝日新聞」2019.11.24、朝日俳壇・歌壇欄、11面。
俳句時評。今泉康弘の評論集『人それを俳句と呼ぶ』、井越芳子句集『雪の音』、安藤恭子句集『とびうを』を紹介した。以下は全文。
 
 
令和の日々から振り返ると、昭和の戦時生活は遙かな過去となってしまった。
 
  号外屋酔へり運河に霧ながれ
 
 西東三鬼が詠んだ句で、今泉康弘『人それを俳句と呼ぶ』(10月、沖積舎)は次のように解する。日中戦争後に戦況を告げる号外が日々喧しく配られ、号外屋の顔を覚えるまでになった。その彼が仕事終わりに泡銭で酔い、近くの淀んだ運河に霧が流れる……作者は虚ろな高揚感に満ちた世相を冷ややかに見つめ、戦争の気配が濃くなる不穏さを「運河に霧流れ」に託したというのだ。今泉の評論集は当時の資料を渉猟し、三鬼ら新興俳人の句の意図や魅力を復元させた好著で、今や戦時下の雰囲気が忘却の闇に埋もれつつあることにも気付かせてくれる。
 
 同時に、日常とは忘れゆく時間の別名なのかもしれない。井越芳子『雪降る音』(9月、ふらんす堂)を見てみよう。
 
  母逝きて家の中まで月明り
 
 母なき秋の夜も月は煌々と冴え、その光は家の中の暗がりにも射しこむ。ほのかな月明かりは虚ろな哀しみを漂わせ、家はいつになく広い……この切実な別れも日々のうつろいの中で薄れゆくのだろうか。いや、それゆえに井越は「家の中まで(、、)」と詠むのだ。あの秋だけの月明かりを、その悼みを忘れないために。

 習慣と忘却の日常の中、想起すべき過去があると信じること。安藤恭子『とびうを』(7月、ふらんす堂)の句は、私たちにも夏があったことを思い出させる。童話のように明るいひとときだった。
 
  いつまでも潮の匂ひの夏帽子