うたをよむ 心臓、ひとつづつ (朝日新聞全国版)

「朝日新聞」歌壇俳壇欄、2017.4.3。
「うたをよむ」シリーズのエッセイ。宮本佳世乃(1974〜、「炎環」「オルガン」所属)氏の「桜餅ひとりにひとつづつ心臓」を取り上げた。下記はその全文。


俳句を読むとは、例えば次のような風景に想いを馳せることだ。
 
 宮本佳世乃さんは、かつて看護師だった。集中治療室関連で、生死と直面する職場だ。心身ともに激務で、何年か経って疲れ果てた彼女は現場を離れ、看護学校教員になった。
 
 宮本さんは看護学生の頃から演劇好きで、社会人になっても舞台に立っていた。ある時、劇の打ち上げで俳句を語り合う友人たちがいて、楽しそうなので宮本さんは興味を抱く。誘われた句会に行くと食事や酒がふるまわれ、皆の活気に魅了された。次第に宮本さんは俳句に熱中し、そこで大好きな彼氏とも出会った。
 
 数年後、彼女はその人と結婚した。しかし、夫はその年に急逝してしまう。あまりのことに呆然としたが、徐々に日常生活を取り戻した。今や平日は看護学校の仕事をし、帰宅後はビールを飲みながら食事を作り、ドラマや映画を観て過ごす。週末は俳句や他の趣味の時間に費やすことにしている。もちろん、今も夫より素敵な人はいないと思っている。
 
 宮本さんは毎朝七時前後に起きて、家を出る。自転車で駅に向かう時、景色を眺めるのが好きだ。春の陽光や梅雨の匂い、秋の澄んだ空や冬の落葉…いつか一句にまとめようと思いつつ自転車を駐め、電車に揺られて職場に辿り着く。
 
 何が幸福かは人それぞれだが、宮本さんには幸せになってほしいと思う。四季の中で人間が笑い、哀しみ、それでも暮らすということ。今年も春がやってきた。桜が咲き、空は晴れている。
  
  桜餅ひとりにひとつづつ心臓  佳世乃