この本 この一句  (総合誌「俳句界」)

「俳句界」23-5、2017.5.1、pp.217。
下記二冊の一句評。
 
・生島春江『すきっぷ』
   
  錠剤のひとつ転がる今朝の秋
  
「今朝の秋」は立秋の朝。うだるように暑い真夏から涼味を感じる風がふと流れ始めた八月のある日、錠剤が一つこぼれて落ちたという。無論、暦の上では秋だが、残暑はいまだ厳しい。同時に、虫の音がいつになく澄み渡り、寂しさを伴う秋が予感とともに訪れつつあるのも確かだ。そして八月のある日、錠剤が一つ転がった。その音は梅雨や盛夏の頃より響くように感じられ、人生も老いの季節を迎えつつあるかのようだ。立秋の朝に錠剤が一つだけ転がった…かすかな寂しさを伴った日常の些事、その広がりのある余韻。
 一九四六年生まれ。「ひまわり」同人。
 
・池端英子『ならやま』
   
  ご詠歌の鈴揃ひたる春障子
   
 「ご詠歌」は西国巡礼や四国遍路で唱える巡礼歌等をさす。余寒も消え、暖かい春が地上を覆う頃、巡礼の人々は鈴を鳴らし、ご詠歌を唱える。掲句はそれを「春障子」越しに聞いたというのだ。ほの暖かい日ざしが射しこむ障子の向こう、不揃いだった鈴の拍子も次第に整い、息の合った調子で歌が唱えられている。巡礼姿の人々にはそれぞれの人生があろう。しかし、この春のひととき、ともに息を合わせて御詠歌を唱えているのだ。それを障子越しに感じることの、かすかな喜び。
 一九三六年生まれ。「ろんど」同人。俳人協会会員。