俳句時評 私たちを律するもの (「朝日新聞」全国版)

「朝日新聞」2019.3.31、朝日俳壇・歌壇欄、11面。
俳句時評。以下は全文。
 
 
日常において、言葉は意思や心情を伝える道具とされがちだが、言語こそ私たちの思考を律し、情緒を彩るのかもしれない。向瀬美音の『詩の欠片』(3月、朔出版)は日本語俳句に英語・仏語訳を付した句集で、次の句を見てみよう。
 
  潮騒を籠めて畳むや春日傘
 
 春の海辺に佇む女性を思わせる掲句は、次のように英訳される。
  
  spring beach
  sound of the waves in the folded parasol

 日本語句を振り返ると、「潮騒」の情景や「を・や」に漂う心情が英語圏と異なる点に驚くだろう。私たちの嗜好は無色透明ではなく、日本語の働きや情趣に沿って句を味読し、余白を想像しているのかもしれない。

 新宿歌舞伎町を根城とし、俳句とギャンブルに浸る北大路翼の『生き抜くための俳句塾』(3月、左右社)は迷言じみた名言が散りばめられた入門書だ。
 「俳句は遊び」「照れがなきゃ俳句にならない」「道楽は人間が駄目だということを教えてくれる」「負けを笑いに転化することを文学という」云々。「俳句は作者そのもの」と北大路が嘯くのは俳句という短詩表現の手強さを知るゆえであり、その突破口が先の台詞群なのだろう。
 
 私たちは言葉や俳句を自己表現の手段と捉えがちだが、日本語や俳句の型、文化や教育等こそ我々の感性や心情を律しつつ波打たせるのではないか。北大路が前掲書で「必死」と感服した次の中村草田男句(昭和13年作)が国や時代、年齢や性差で解釈が全く変わるように。
 
  妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る