俳句時評 俳味と日常 (「朝日新聞」全国版)

「朝日新聞」2019.2.24、朝日俳壇・歌壇欄、11面。
俳句時評。以下は全文。
 
大学で俳句の授業を行うと、多くの学生が句に明確な意義や劇的な美しさを求めることに驚く。しかし、授業を経ると<鴨の嘴よりたらたらと春の泥 高浜虚子>の無内容じみたユーモアが分かり始め、彼らの俳句観は徐々に変化する。<冬晴れのとある駅より印度人 飯田龍太>等に魅力を感じるようになるのだ。
 
 京都の岩城久治(78)は<ティッシュ箱の紙引き立てて五月来る>(『冬焉』)と俳味あふれる句を詠み、現在は「晨」に発表している。1月の最新号を見てみよう。
 
  冬至粥疲弊消化器運用す
 
 無病息災を願い、冬至に小豆や南瓜の粥をいただく「冬至粥」。病後の「疲弊(した)消化器」を「運用」して食するところに妙な律儀さや微苦笑めいた生への希望もほの見え、熟語を羅列した詠みぶりには自己韜晦じみたユーモアが漂う。
かたや東京の「オルガン」に所属する鴇田智哉(49)は省略を駆使して日常を変容させる名手で、<ひだまりを手袋がすり抜けてゆく>(『凧と円柱』)等を詠む俳人だ。2月の最新号を見てみよう。
 
  しやつくりや電信柱まで進む
 
 下校中の小学生が自分の「しやつくり」を面白がりながら歩くような、不思議で妙なユーモアがある。鴇田や岩城、高浜虚子らの俳味は偉大な芸術作品とも、一般の説明文の納得や共感とも異なる。世界や日常、また自身がすでに在ることへの微かな違和や驚きを笑いとともに興がり、昇華するのが彼らの俳味であろう。「オルガン」最新号の鴇田句のように。
 
  鎖から錆のとけ出てゆく海鼠