日本統治時代台湾の甘蔗俳句 (研究会紀要「俳文学研究」)

*研究会紀要「俳文学研究」80号、2023.10.1、5p。 *日本統治時代の台湾における製糖関連の俳句作品は、一見すると季節感の把握や句意を把握しがたいため、当時の台湾における製糖業の事情を踏まえながら的確な解釈を試みた。

夜闇の蛍と雪の深さ、そして万緑の手触り 国語教育現場における俳句読解の傾向について  (学術誌「昭和文学研究」)

*「昭和文学研究」85集、2022.9.1、pp.108-131。 *国語教育現場における俳句読解や創作の授業は、授業実践や展開、教授法や指導要領との関連性如何にかかわらず、いずれも一行詩に近い読解が行われる傾向にあり、有季定型という特徴を有する俳句作品の読解…

「只言」と「写生」の間 三森幹雄の俳諧観から正岡子規派の句を見る  (「子規博だより」)

*子規記念博物館発行「子規博だより」40-2、2021.12.25、pp.11-14。 *2021年8月に子規記念博物館開催の展覧会に合わせた記念講演が中止になったため、講演予定だった内容の活字化。明治期に大きな勢力を有した俳諧宗匠、三森幹雄の俳諧観から正岡子規及び…

俳句そのものを読むということ 『と』を中心に  (「日本文学」)

*「日本文学」70-7、2021.7.10、pp.36-40。 *有季定型という特殊な詩形の俳句作品をいかに読むかという一例として、「と」を用いた作品を実際に読解した。

『四国遍路の世界』  (ちくま新書)

四国遍路の世界 (ちくま新書)発売日: 2020/04/07メディア: 新書 *愛媛大学四国遍路・世界の巡礼研究センター編『四国遍路の世界』(ちくま新書、2020.12.25)所収「俳句・文学から見る近現代の四国遍路」担当、pp.173-191。 *近現代俳句・文学が四国遍路を…

アメリカ日系移民の収容所俳句 (研究会紀要「俳文学研究」)

*研究会紀要「俳文学研究」73号、2020.3.1、pp.6-7。 *アメリカの日系移民が太平洋戦争時に収容所に強制収容された際、日本語雑誌等を作成して俳句を発表しており、その作品分析を行った。

昭和の「路地」を生きた俳人、菖蒲あやについて  (「日本現代詩歌研究」13)

■「日現代詩歌研究」13、2018.3.30、pp.121-139。 ■菖蒲あや(1924-2005、「若葉」同人、後に「春嶺」主宰)という俳人を紹介しつつ、昭和の「路地」のありようを論じた。東京下町に生まれ育った菖蒲は貧しい工場勤めの中、敗戦直後の職場俳句で句作に目覚め…

明治期における俳句革新と「写生」の内実について ―高浜虚子「遠山に日の当りたる枯野かな」の分析を通じて―  (「俳句文学館紀要」)

*「俳句文学館紀要」19、2016.11.25、pp.109-128。 *明治期の高浜虚子の作品「遠山に日の当りたる枯野かな」の分析を通じ、この句のどの点が「写生」的で、何をもって「俳句」的と見なされたかを、同時代の俳諧宗匠らの俳誌掲載句との比較を通じて明らかに…

山口誓子「汽罐車」連作と新興俳句  (研究会紀要「俳文学研究」)

*研究会紀要「俳文学研究」66号、2016.10.1、pp.4-5。 *山口誓子が昭和八年に発表した「汽罐車」連作は、新興俳句の表現に大きな影響を与えたことなどを当時の資料を元に論じた。

「汽罐車」のシンフォニー ―山口誓子の連作俳句について― (学術誌「昭和文学研究」)

■「昭和文学研究」73号、2016.9.1、pp28-41。 ■山口誓子の「汽罐車」連作(昭和8年発表)

文学や漫画から見る近現代の遍路  (紀要「四国遍路と世界の巡礼」)

■四国遍路・世界の巡礼研究センター紀要「四国遍路と世界の巡礼」1号、2016.3.25、pp.51-57。 ■近代俳句や昭和期漫画が四国遍路をいかに表象したかを考察した。遍路文化表象の研究は主に江戸期までが多く、近代以降はさほど研究が進んでいない。まして俳人や…

俳句という有季定型詩の「読み方」 ―山口誓子の場合― (学術誌「日本近代文学」91集)

■「日本近代文学」91、2014.11.15、pp.159-166。 ■山口誓子が昭和期に発表した「ピストルがプールの硬き面にひゞき」をいかに読むか、どの点に留意し、何をもって「俳句」とすべきかを、十七字の読解を通じて具体的に考察した。

正岡子規一派の蕪村調と「俳句らしさ」―内藤鳴雪「秋の水湛然として日午なり」について―  (大学紀要「同志社国文学」81号)

■「同志社国文学」81、2014.11.10、pp.212-225。 ■明治期の正岡子規一派は俳句革新を担った派として著名だが、彼らの作品のどの点が革新的であったかは、意外に研究が進んでいない。本稿は、子規派俳人の内藤鳴雪句「秋の水湛然として日午なり」を同時代の俳…

昭和十七年、芭蕉連句を茶化す  太宰治「天狗」の位相  (「太宰治研究」22)

■「太宰治研究」22、2014.6.19、pp.125-141。 ■太宰治が昭和17年に発表した随筆「天狗」に関する論文。江戸期の芭蕉俳諧の金字塔とされる「猿蓑」を、戦時下の昭和十七年に斜め読みした随筆を発表した太宰の意図と、初期の小説「虚構の春」「葉」等が「連…

別子銅山と俳句  (研究会紀要「俳文学研究」60)

■「俳文学研究」60号、2013.10.1、1-2p。 ■別子銅山を擁する新居浜市は産業が盛んで、文学に縁の薄い街というイメージが強いが、昭和戦前期の俳句雑誌には新居浜在住の多くの俳人たちが銅山に関する句を投句していたことを述べた。

昭和の島原、太夫道中のひととき ―高浜虚子「島原の太夫の道中」記事紹介―  (「角屋研究」21)

■「角屋研究」21号、2012.5.31、pp.1-15。 ■高浜虚子が昭和三年四月に京都島原の太夫道中を見学し、その様子をまとめた「島原の太夫の道中」(「ホトトギス」昭和三年八月号)の全文を紹介。その際、長田幹彦「祗園」所収の角屋に関する描写などを引き合いに…

言葉に留まるということ ―坪内稔典『正岡子規 言葉と生きる』を読む―  (「論究日本文学」96)

■立命館大学日本文学会「論究日本文学」96号、2012.5.30、pp.175-179。 ■坪内稔典氏が正岡子規をどのように捉え、どの点を強調したかを、近著『子規 言葉と生きる』(岩波新書、2010)及び過去の著作『正岡子規―創造の共同性』(リプロボート、1991)を対象…

近代俳句の同時代評  (研究会紀要「俳文学研究」57号)

■研究会紀要「俳文学研究」57号、2012.3.1、p.3。 ■近代俳句の読解や注釈は多いが、作品が詠まれた当時の状況や言葉のあり方などを、資料の読みこみから復元しようとする読解は多くない。作品が発表された同時代資料には読解のヒントが豊富にちりばめられて…

寺田寅彦「写生」句の逸話  (研究会紀要「俳文学研究」)

■「俳文学研究」56号、2011.10.1、3p。 ■寺田寅彦の回想録(学生時代に俳句について父親と交わしたやりとり)を通じ、江戸後期俳諧を継ぐ「月並」句と近代俳句の価値観の差異を指摘した。

明治の蕪村調、その実態―俳人漱石の可能性について―  (学術誌「日本近代文学」)

■「日本近代文学」84集、2011.5.15、pp.1-15。 ■小説家になる以前、夏目漱石は俳人として知られたが、その実態はさほど研究されなかった。たとえば、俳人漱石と蕪村の関係は、これまでは次のようにまとめられることが多い。 ・漱石が句作を始めた頃は、子規…

三森幹雄の「写生」批判  (研究会紀要「俳文学研究」)

■「俳文学研究」55号、2011.3.25、4-5p。 ■江戸俳諧と近代俳句の価値観の差異を、三森幹雄(旧派宗匠)と正岡子規の論を通じて考察した。

『村上春樹と小説の現在』  (日本近代文学会関西支部編、和泉書院)

村上春樹と小説の現在作者: 日本近代文学会関西支部編出版社/メーカー: 和泉書院発売日: 2011/03/22メディア: 単行本(ソフトカバー) クリック: 3回この商品を含むブログ (2件) を見る ■掲載論文:「「羊男」の描写と「歴史」の現前について」(128-139p) ■…

明治の椿はいかに落ちたか――俳句「赤い椿白い椿と落ちにけり」を読む――  (学術誌「日本文学」)

*「日本文学」60-1、2011.1.10、pp.78-82。 *河東碧梧桐の「赤い椿白い椿と落ちにけり」は、正岡子規によって「印象明瞭」と賞賛され、後に「写生」句の典型と見なされた。その特色は「ありのままを描く、(略)その淡々たるところ」(村山古郷)にある、…

愛と執着、または起風器――碧梧桐、虚子から見た子規  (学術誌「国文学 解釈と鑑賞」)

■学術誌「国文学 解釈と鑑賞」75-11、2010.11.1、63-69p。 ■正岡子規の弟子である河東碧梧桐と高浜虚子は子規門の双璧であり、二人は子規を敬愛していたとされる。その一方で、両者は子規に対し一言では言い尽くせない感情を多々抱いていた。それを「憧れ・…

芭蕉二百回忌と「芭蕉雑談」について  (研究会紀要「大阪俳文学研究会会報」)

■研究会会報「大阪俳文学研究会会報」44号、2010.10.12、pp.22-28。 ■普通、明治26年(1892)は正岡子規「芭蕉雑談」が発表され、俳句革新が本格的に始動した年として知られる。しかし、当時の俳句界的には芭蕉二百年忌(没後二百年の遠忌)の方が大きな現象で…

「道」と「文学」――明治の「庶民教化」と子規の俳句革新について  (学術誌「国語と国文学」)

■学術誌「国語と国文学」87-6、2010.6.1、pp.48-64。 ■明治期俳句の「旧派」の代表、三森幹雄は俳諧教導職を担った俳人である。彼は明治新政府の方針に沿った俳句活動を行ったことで知られるが、正岡子規に否定されてしまう。その結果、彼は国家政策に盲従し…

「菊」の詠みどころ―明治期俳諧宗匠と正岡子規達の作品から   (学術誌「アート・リサーチ」)

■「アート・リサーチ」10号、2010.3.25、pp.29-40。 ■正岡子規達は江戸期以来の「旧派」を批判した、と言われる。しかし、子規達の作品のどの点が「旧派」と異なるのか、その具体的な指摘は従来さほど指摘されていない。そのため、本稿は子規達と「旧派」双…

窓の灯、雪を溶かさず――正岡子規『新俳句』と「月並句」の差異について (学術誌「同志社国文学」)

■「同志社国文学」72号、2010.3.20、pp.54-66。 ■正岡子規達の『新俳句』(明治31)は、子規派初の大規模な選集である。しかし、その収録句のどの点が新鮮であったかは従来研究されてこなかった。そのため、本稿は当時「旧派」とされる句群と子規達の句と具…

鵜飼の罪――明治期「写生」考   (研究会紀要「俳文学研究」)

「祖翁」を称えよ、教導職――明治の俳諧結社・明倫講社と『田中千弥日記』について (「同志社国文学」)

■「同志社国文学」71号、2009.12.20、pp.40-51。 ■現在、近代俳句は正岡子規とその一派に代表され、子規以外の「旧派」はさほど顧みられないが、当時の大多数は「旧派」を信奉する人々であった。本稿は、その一例に秩父地方の神官であった田中千弥の日記を対…